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大阪地方裁判所 昭和58年(ワ)7023号 判決

原告(反訴被告)

株式会社仲庭時計店

ほか一名

被告(反訴原告)

山本保

主文

1  原告(反訴被告)らの被告(反訴原告)に対する別紙目録記載の交通事故に基づく二億二四四八万〇五五七円の損害賠償債務が存在しないことを確認する。

2  反訴原告(被告)の反訴請求を棄却する。

3  訴訟費用は本訴及び反訴を通じて被告(反訴原告)の負担とする。

事実

第一当時者の求めた裁判

(本訴)

一  請求の趣旨

1 主文1項と同旨。

2 訴訟費用は被告(反訴原告。以下、本訴及び反訴を通じ単に「被告」という。)の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 原告(反訴被告)らの請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告(反訴被告)らの負担とする。

(反訴)

一  請求の趣旨

1 原告(反訴被告)株式会社仲庭時計店(以下、本訴及び反訴を通じ単に「原告会社」という。)及び原告(反訴被告)青木芳治(以下、本訴及び反訴を通じ単に「原告青木」という。)は、各自被告に対し、九一〇四万八六四五円及びこれに対する昭和五七年一一月二一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

3 仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 被告の反訴請求を棄却する。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

第二当時者の主張

一  本訴請求原因

被告は、別紙交通事故目録記載の交通事故(以下、「本件事故」という。)につき、その加害者である原告会社及び訴訟承継前の原告(反訴被告)亡橋本寛一(以下、本訴及び反訴を通じ単に「亡橋本」という。)において、各自被告に対し、二億二四四八万〇五五七円の損害賠償債務を負つている旨主張し、現に原告会社及び亡橋本の訴訟承継人(相続人)原告青木に対しその一部である九一〇四万八六四五円の賠償を求めている。

しかし、原告らは何ら右損害賠償債務を負担していないので、被告との間で右債務の存在しないことの確認を求める。

二  本訴請求原因に対する被告の認否

被告が原告らに対し、そのような権利主張をしていることは認める。

三  本訴抗弁(反訴請求原因)

1  被告の受傷

昭和五七年一一月一〇日本件事故が発生したところ、被告は、本件事故によつて頸部捻挫(根症状型+バレー症状型)の傷害を負い、さらに右受傷のため両側感音性難聴及び出血性胃潰瘍に罹患した。

2  亡橋本の責任

亡橋本は、本件事故現場道路の第一車線に加害車両を一時停止させ、同乗していた婦人を左側歩道上に降車させた後再びこれを発進させ、右側(第二)車線に進入すべく右方向に進路を変えながら北から南に走行し始めたものであるが、このような場合、右方向に進路を変えつつ進行する自動車の運転者としては、前方及び右側方を通行する車両等の動静に注目し、自車進路上に車両が存在することを認めたときは、それが進行・移動して自車の進路を妨げなくなるまで停止してこれを遣り過ごすなどして衝突事故を未然に防止すべき注意義務があつたのに、亡橋本はこれを怠り、降車させた婦人と会話を交すなどしてその応対に気をとられて、前方及び右側方を通行する車両の動静に全く注目しないまま加害車両を発進させた過失により既に被告車両が第二車線から加害車両のすぐ前方の第一車線に進入してきて同乗者を降車させるため一時停止していたのに気付かず、その左側部に加害車両前部バンパー右角付近を衝突させたものである。したがつて、同人は、民法七〇九条により後記損害を賠償する責任を負うものである。

3  被告会社の責任

(一) 被告会社は、本件事故当時加害車両を所有し、これを自己のために運行の用に供していた。

(二) 本件事故が亡橋本の過失によつて惹起されたものであることは前記のとおりであるところ、本件事故当時同人は被告会社の従業員であり、かつ、本件事故は、社用で人を送迎する際に生じたものである。

したがつて、被告会社は、自動車損害賠償保障法(以下、「自賠法」という。)三条または民法七一五条一項により後記損害を賠償する責任を負うものである。

4  損害

(一) 治療経過

被告は、前記受傷のため、次のとおり治療を受けることを余儀なくされた。

(1) 昭和五七年一一月二二日から同月二九日までの間、芦原病院に通院。

(2) 昭和五七年一二月一日から同月九日までの間、加藤外科医院に通院。

(3) 昭和五七年一二月一〇日から同五九年一月一二日までの三九九日間、同病院に入院。

(4) 昭和五九年一月一三日から同六〇年五月一五日までの間、同病院に通院。

(5) 右加藤外科医院での治療期間中、井上眼科医院で診療を受けたほか、兵庫医科大学付属病院及び野田クリニツクで検査を受けた。

(二) 治療費 一一五六万三四〇七円

被告は、前記治療のため、(1) 芦原病院に対し社会保険の自己負担分として七九三〇円、(2) 加藤外科医院に対し一一三八万二四一五円、(3) 兵庫医科大学付属病院に対し一二万七四三九円、(4) 井上眼科医院に対し一万八八九〇円、(5) 野田クリニツクに対し一万九四七三円の各治療費・検査料等を支出したほか、(6) 眼薬を購入してその代金七二六〇円を支払つた。

(三) 入院雑費 一七二万二七四〇円

被告は、前記入院治療期間中、食料品、新聞、日用品等の購入費その他の雑費一七二万二七四〇円を支出した。

(四) 付添看護費 二二九万九二五〇円

被告は、前記(一)(3)の入院期間中付添看護を要する状態にあり、かつ、現実に妻の付添を受けたところ、その付添費用の額は、当初の一四二日間が一日当たり八五〇〇円、残余の二五七日間が一日当たり四二五〇円である。

(五) 通院・付添交通費 九九万七九六〇円

被告及び被告の付添人であつた被告の妻は、前記治療期間中、医師の指示により通院や付添のためにタクシーを利用せざるをえず、そのため合計九九万七九六〇円のタクシー代金を支払つた。

(六) 休業損害 一億五二六九万五八九〇円

被告は、本件事故当時、不動産売買・仲介を業とし、昭和五七年度には年間八四〇〇万円の営業所得(不動産譲渡所得)を得ていたものであつて、それ以後の年度においてもこれと同程度の所得をあげることができる状況にあつたところ、前記受傷のため、前記(一)(3)の三九九日間の入院期間中右営業に全く携わることができず、また、前記(一)(4)の通院期間中(その最終日である昭和六〇年五月一五日に症状固定)は五〇パーセント程度しかこれに携わることができなかつたものであるから、被告が前記治療期間中に喪失した営業所得の額は、一億五二六九万五八九〇円となる。

(七) 逸失利益 四七〇四万〇〇〇〇円

被告の前期受傷は、長期間の治療によるも結局完治せず、頂部・頸部・肩甲部・腰背部の頑固な疼痛、両上・下肢の倦怠感・しびれ感・頭痛、頭重痛、耳鳴、難聴等の外傷性頸部症状を残存させたまま、昭和六〇年五月一五日頃その症状が固定したところ、右後遺障害は、自賠法施行令二条別表後遺障害等級表(以下、「自賠責等級表」という。)に定める第一二級一二号(「局部に頑固な神経症状を残すもの」)に該当するものであり、被告はこれにより、右症状固定時以降四年間にわたつてその労働能力を一四パーセント喪失するに至つたものというべきであるから、前期年間収入八四〇〇万円を基準にして被告が右後遺障害によつて失うべき所得の総額を算出すると、四七〇四万円となる。

(八) 慰藉料 五〇九万〇〇〇〇円

被告が前期受傷及び後遺障害によつて受けた肉体的、精神的苦痛を慰藉するに足りる慰藉料の額としては、五〇九万円が相当である。

(九) 告訴費用 四七八〇円

本件事故の捜査を担当した大阪府曽根崎警察署所属の内田利幸司法巡査は、本件事故現場の実況見分や被告の取調の際に被告の言い分を全く聞き入れず、強圧的な言辞で被告を威圧したものであつて、そのため被告は、亡橋本の弁解のみに沿つた予断と偏見に基づく捜査が進められることに対し異議を申し述べる機会を失なつてしまつた。そこで被告は、やむなく昭和五八年一〇月二四日同巡査を公務員職権濫用罪で告訴し、そのための費用として四七八〇円を支出したが、この告訴費用もまた、本件事故による損害というべきものである。

(十) 車両修理代 六万六五三〇円

本件事故により、事故当時被告が運転していた被告所有の普通乗用自動車の右側後部ドア付近が凹損したので、被告はその修理のために六万六五三〇円の費用を支出した。

(十一) 弁護士費用

原告は、本訴の提起及び追行を原告訴訟代理人に委任し、その費用及び報酬として三〇〇〇万円―を支払うことを約した。

以上合計 二億二四四八万〇五五七円

5  損害の填補 一三〇四万四〇二七円

被告は、本件事故による損害の賠償として、原告会社から一二二九万四〇二七円、自動車損害賠償責任保険から七五万円の各支払を受けた。

6  債務の承継

亡橋本は昭和六一年一月一八日死亡したところ、原告青木は亡橋本の兄であり、同人の唯一の相続人であるから、亡橋本の死亡により、同人の被告に対する本件事故に基づく損害賠償債務を相続により承継した。

よつて、被告は、民法七〇九条に基づいて原告青木に対し、また、自賠法三条もしくは民法七一五条一項に基づいて原告会社に対し、それぞれ前期4の損害合計額二億二四四八万〇五五七円から同5の既払額一三〇四万四〇二七円を控除した残額二億一一四三万六五三〇円のうち九一〇四万八六四五円の損害賠償金及びこれに対する本件事故の翌日である昭和五七年一一月二一日から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

四  本訴抗弁(反訴請求原因)に対する原告らの認容

1  本訴抗弁1の事実のうち、本件事故の発生については認めるが、被告受傷の点は否認する。被告が頸部捻挫と称して訴えている症状は賠償金目的の詐病である。このことは、加害車両と被告運転車両との接触の衝撃が、その部位、接触時の速度からみて、きわめて軽微なものにすぎなかつたこと、被告車両の同乗者が何ら受傷していないこと、事故直後、被告が警察署に物損事故の届出のみをし、また亡橋本に対しても、受傷したなどとは一言も申し述べていなかつたことなどの事実を照らしてみても明らかである。

仮に被告に頸部捻挫のごとき症状があつたとしても、それは経年性の変化による椎間孔の狭小化に起因するものであつて、本件事故とはなんら因果関係のないものである。

2  同2の事実のうち、亡橋本が本件事故現場道路の第一車線に加害車両を一時停止させ、同乗していた婦人を左側歩道上に降車させた後再びこれを発進させ、右側(第二)車線に進入すべく走行を開始したこと、その直後に本件事故が発生したことはいずれも認めるが、その余は否認する。本件事故は、後記本訴再抗弁2のとおり、被告車両が右後方から加害車両の進路前方に急に割り込んできたために発生したものであつて、加害車両が発進する際既にその進路前方に被告車両が斜めに進入し停車していたような事実はない。また、亡橋本が左側歩道に婦人を降車させた後、その婦人と話をした事実もない。

3  同3の事実中、原告会社が本件事故当時加害車両を所有していたこと及び亡橋本が本件事故当時原告会社の従業員であつたことは認める。

4(一)  同4(一)の事実は知らない。

(二)  同4(二)の事実は否認する。仮にそのような治療費等を支払つた事実があつたとしても、被告の症状は前記のとおり詐病であるから、そのために支出した費用はすべて本件事故によつて生じた損害といえないものである。また、仮りに詐病とまではいえなくても、被告は、加藤外科医院に入院した直後から外泊・外出を繰り返し、病院の食事も殆んどとらずに外食ばかりしていたものであり、しかも、昭和五八年三月二九日以降は、再三にわたる主治医の退院勧告も聴き入れないで入院を続けていたものであつて、その点からも明らかなように、もともと入院治療の必要などなかつたのであるから、加藤外科医院における治療費のうち入院のために要した部分は、本件事故と相当因果関係に立つ損害ではないというべきである。さらに、被告は、その主張の治療期間中、狭心症、高脂血症、急性尿道炎、胃潰瘍等、本件事故と関係のない疾患の治療も受けていたものであるが、被告の主張する治療費の中には、これらの疾病の治療に要した費用も含まれており、それらが本件事故による損害でないことは明らかである。

(三)  同4(三)、(四)は否認する。仮にその事実があつたとしても、それが本件事故による損害でないことは前記のとおりである。

(四)  同4(五)は否認する。仮にその事実があつたとしても、加藤外科医院は被告の自宅から近距離にあり、その症状から考えても徒歩による通院が十分可能であるから、タクシーによる通院費等は本件事故と相当因果関係に立つ損害とはいえない。

(五)  同4(六)の事実は否認する。被告は、宅地建物取引業の免許すら受けていない者であつて、そのような者が年間八四〇〇万円もの高額の利益を不動産取引によつてあげうるなどあるはずがないのである。現に被告は、昭和五七年度の所得税の確定申告において、同年度中の不動産売買による譲渡所得は零円であつたとしているのであつて、この点からも、被告の右主張がいかに常規を逸したものであるかが窺われる。

(六)  同4(七)は否認する。被告の主張する症状がすべて詐症であるか心因性のものであることは前記のとおりであり、仮に何らかの後遺障害が残つたとしても、それは自賠責等級表に定める第一四級一〇号(「局部に神経症状を残すもの」)に該当する程度のものにすぎない。また、その症状固定の時期も、被告の主治医の診断どおり昭和五八年一〇月二二日頃である。

(七)  同4(八)、(九)、(十一)は否認する。

(八)  同4(十)の事実は認める。

5  同5の事実は認める。

6  同6のうち、亡橋本が昭和六一年一月一八日死亡したこと、原告青木が亡橋本の兄であり唯一の相続人であることは認める。

五  本訴再抗弁(反訴抗弁)

1  弁済

原告会社は、被告が自認するもののほかに、本件事故による損害の賠償として、被告運転車両の修理代金六万六五三〇円を被告に支払つた。

2  過失相殺

本件自己が発生するについては、被告にも次のとおり過失があるから、損害額の算定に際しては、被告の右過失を斟酌して相応の減額がなされるべきである。

すなわち、亡橋本は、加害車両を発進させるに先立ち右側方向指示器を点滅させていたものであるから、第二車線上を走行して加害車両の右後方からこれに接近してくる車両の運転者としては、加害車両が間もなく発進し、第一車線から第二車線に進入すべく右方向に進路を変えながら走行し始めることを容易に予測することができる状況にあつたものであり、したがつて、右のような状態で第二車線上を加害車両後方(北側)から南進してきて、加害車両右側方を通過したうえ第二車線から第一車線に進入して加害車両の停止位置より前方(南側)に車両を停車させようとした被告としても、加害車両の進路を妨害することのないよう、加害車両を先に発進させてこれが前方に去つてしまうのを待つか、あるいは、加害車両の右側方を通過したのち加害車両の進行を妨げないような位置まで前進してから左側に進路を変更するなどして加害車両との衝突・接触を避けるべきであつたのに、第二車線上を加害車両の前方わずか三・九メートルの地点まで走行してきて突然加害車両の進路を塞ぐような形で第一車線に進入したため、亡橋本において被告車両との接触を避けることができず、その結果、本件事故の発生をみるに至つたのである。

六  本訴再抗弁(反訴抗弁)に対する被告の認否

1  本訴再抗弁1の事実は否認する。

2  同2の事実は否認する。被告は、加害車両が第一車線上に停止していることは認識していたが、その運転者が同乗していた婦人を降車させた後同女と言葉を交していたので、よもや直ちに発進するようなことはあるまいと考え第二車線から加害車両前方の第一車線に進入し、同乗者を降車させるべく一時停止した直後に衝突されたものであるから、被告にはなんら落度はないというべきである。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるからこれを引用する。

理由

第一被告の反訴請求について

一  本件事故と被告の受傷

本件事故が発生したことは当事者間に争いのないところ、被告は、本件事故によつて頸部捻挫(根症状型+バレー症状型)の傷害を負い、さらに右受傷のため両側感音性難聴及び出血性胃潰瘍に罹患したと主張し、原告らは、右は詐病であると争うので、まずこの点について検討することとする。

成立に争いのない甲第一〇、第一一、第二六号証、乙第二八号証、証人加藤肇三の証言(以下、「加藤証言」という。)によつて真正に成立したものと認められる乙第一号証、第一三号証の一ないし二〇、乙第二七号証の一ないし五、加藤証言、証人大石昇平の証言(以下、「大石証言」という。)、亡橋本本人尋問の結果及び鑑定人大石昇平の鑑定の結果(以下、「大石鑑定」という。)によれば、次の事実が認められる。

1  被告は、本件事故の直後には、身体のどの部分にも異常を感じるようなことはなく、事故現場で加害車両から降りてきた亡橋本がその安否を尋ねた際にも、どこにも怪我はなく大丈夫である旨答えたので、亡橋本も安心し、その足で被告とともに近くの曽根崎警察署に赴いて本件事故の届出をするに当たつても、これを物損事故として申告した。また、右届出を済ませた後右両名は同警察署近くの喫茶店で被告車両の修理代金の負担について話し合つたが、その際にも、被告が頸部その他身体の異常を訴えるようなことはなかつた。ところが、その二日後の昭和五七年一一月二二日になつてから、被告は肩甲部や側頸部に疼痛を覚えるようになり、同日芦原病院に赴いて診察を受けたところ、同病院の国島郁男医師はこれを頸部捻挫と診断して薬物の服用や頸椎カラーの装着を指示したので、同年一一月二九日まで同病院に通院するようになつたが、同病院が被告の自宅から遠方にあるとの理由で被告が転医を希望したため、昭和五七年一二月一日以降は、国島医師の紹介により自宅の近くにある加藤外科医院に通院することとなつた。

2  被告は、加藤外科医院に通院するようになつた当初は、項部・頸部・背部・肩甲部等の疼痛や倦怠感、頭痛、嘔吐感を訴えていたが、同病院の加藤肇三医師の指示によつて昭和五七年一二月一〇日に同病院に入院した後は、右と同様の症状のほかに耳鳴、めまい、腰部痛、四肢のしびれ感、不眠、胸部の痛みなど極めて多彩な症状を訴えるようになつた。そうこうするうち、難聴まで訴えはじめたため、右加藤医師は、専門医である井上眼科医院や兵庫医科大学付属病院での診察・検査を受けるよう指示した。その結果、視力・視神経には特段の異常は認められなかつたが、耳については両側感音性難聴の診断が下された(もつとも、この難聴はその後の治療によつて軽快し、小声での会話にも不自由を感じない程度に回復している。)。

3  以上のような病状の経過を観察してきた主治医の加藤医師は、被告の訴える右のような多彩な症状は外傷性頸椎症に随伴する自律神経の失調症状(臨床的にバレー症状とよばれるもの)であると判断し、消炎鎮痛剤、ビタミン剤、血流促進剤などの薬物の投与とともに頸椎の牽引、低周波やホツトパツクによる治療、マツサージ等の理学療法を続けたが、症状は特に軽快することもなく一進一退を繰り返し、天候によつて症状が変化し、また、その症状の現われ方も一定しないという状態が続いた。

4  そこで加藤医師は、右のバレー症状がある程度鎮静化していた昭和五八年五月頃、被告に対し、積極的に外出して気分転換を図るよう勧めたり、退院して外来治療を受けるよう促したりしたが、被告が入院治療の継続を強く希望して退院要請に応じなかつたため、そのまま従来通りの治療が続けられた。その後加藤医師は、昭和五八年八月一五日から同月二〇日にかけて被告を外泊させるとともに、同月二一日に被告に対し再び退院を勧めたが、被告が右外泊中に症状が悪化した旨訴えてこれに応じようとしなかつたので、その際も従前通りの治療を続けざるをえないこととなつた。しかしこの頃には、被告の症状は既に慢性化していたため、昭和五八年一〇月にいたつて加藤医師も、被告の訴える症状が難治性のバレー症候群であるところから、その多彩な愁訴が今後とも持続することを予測した上、昭和五八年一一月中頃には被告を是非とも退院させ、症状固定の診断をして後遺障害の認定をするのが相当であると判断するようになつた。

5  そのようにして加藤医師は、昭和五八年一一月一日になつて被告に対し何度目かの退院勧告をしたが、またもや被告は激しい胸の痛みや下痢、全身の倦怠感等を訴えてこれを拒み、さらに同年一二月二〇日の退院勧告にも応じようとしなかつた。このような経過で、結局被告が加藤外科医院を退院したのは昭和五九年一月一二日のことであつた。

6  被告はその後も同医院に通院していたが、気候の厳しい冬の間に治療を打ち切るのは相当でないとの観点から、主治医である加藤医師は、昭和五九年四月か五月頃に症状固定の診断をして治療を打ち切るのが妥当であると判断していたが、たまたま昭和五九年四月二七日に至つて、被告が急性の出血性胃潰瘍に罹患して再度同医院に入院することとなり、さらにその治療中に輸血後肝炎を併発してそのために一〇六日もの間入院治療を続ける結果となつたことから、外傷性頸椎症の方の症状固定の診断は、それにとりまぎれてすぐにはなされず、結局、同医師が明示的に右症状固定の診断をしてその旨の診断書(乙第二八号症)を作成し、治療を打ち切つたのは、昭和六〇年五月一五日のことであつた。

7  なお、右出血性胃潰瘍が本件事故に起因するものである可能性を否定することはできないけれども、その高度の蓋然性を肯定することは困難といわざるをえないところ、右疾患が発症した後の被告に対する治療は、胃潰瘍と肝炎についてのものが主であつて、頸椎症に基づくバレー症状に対する治療は付随的に行われたにすぎず、また、その治療内容も湿布や運動療法等の保存的治療に限られ、しかも、それによつて右症状が特に軽快したわけでもなかつた。

以上の認定事実によれば、被告が本件事故によつての主張のような頸部捻挫の傷害を受けたことを認めるに十分であり、それが詐病でないことは明らかといわなければならないが、被告主張の難聴及び胃潰瘍が右受傷に起因するものであるとの点については、これを認めるに足りる証拠がないことに帰着するというべきである。

もつとも、右の事実につき原告らは、本件事故が軽微な接触事故であること、被告が事故発生の際に何ら受傷の事実を訴えておらず、その二日後になつて初めて医師の診察を受けるようになつたこと等の事実からこれを否定すべきものと主張しているところ、前掲甲第一号症、第四ないし第六号症によれば、本件事故により、加害車両は前部バンパーのゴムの部分に擦過痕が生じたのみでその他の部分には全く損傷を生じておらず、被告車両も左側の後部ドアー付近のボデイに凹損を生じた程度の損傷状態で、事故の際被告車両の助手席に同乗していた日和佐信子外一名は全く傷害を受けなかつたこと、被告車両が加害車両と衝突する直前、加害車両の接近に気付いた右日和佐信子が「衝突する」と叫んだことから、被告としても、一瞬衝突に対して身構える体勢となつたことがそれぞれ認められるとともに、被告が事故直後身体に異常を覚えず、その二日後に初めて病院に赴いたことは前記認定のとおりであつて、それらの事情に照らして考えれば、本件事故によつて被告の身体に加えられた衝撃はそれほど強いものではなかつたものと推認することができるけれども、加藤証言及び大石証言によれば、たとえ事故時の衝突による衝撃がそれほど大きくなくても、車両内の搭乗者の姿勢や筋の弛緩度その他衝突の際の条件如何によつては、その搭乗者にかなり重篤な頸部捻挫の傷害を生ぜしめることもありうること、また、衝突事故による頸部捻挫の症状は、必ずしも常に受傷直後から現われるものとは限らず、事故後数日を経た後に発症するようなことも稀ではないことが認められるので、前記のような事実が認められるからといつて、被告が本件事故によつて、頸部捻挫の傷害を受けたとの事実を認定する妨げとなるものではなく、しかもその他に、右認定を左右するに足りる証拠は存在しない。

二  亡橋本の責任

亡橋本が本件事故現場道路の第一車線に加害車両を一時停止させ、同乗していた婦人を左側歩道上に降車させた後再びこれを発進させ、右側(第二)車線に進入すべく走行を開始したこと、その直後に本件事故が発生したことはいずれも当事者間に争いのないところ、成立に争いのない甲第一ないし第六号証及び亡橋本本人尋問の結果によれば、本件事故の発生状況として次の事実を認めることができる。

1  亡橋本は、同乗していた婦人を下車させた際、たまたま同一車線上約八・四メートル前方(南側)にタクシーが停止していたため、すぐには発進しないでしばらくそのまま待機していたが、ほどなく右タクシーが発進するのを認めたので、直ちに加害車両の右側方向指示器を点滅させてゆつくりと自車を発進させ、第一車線から第二車線に進入すべくわずかに右にハンドルを切りながら約三・九メートル南進した。加害車両前部バンパー右角付近が折柄第二車線から第一車線に進入してきた被告車両の左側後部ドア付近に衝突したのはその時点においてであつた。

2  一方、被告も、自車に同乗していた日和佐信子と八代精一郎とを同じく右事故現場付近で降車させるため、本件事故現場手前の道路の第二車線を北から南に約二〇キロメートルの速度で進行してきたが、加害車両の前方(南側)の第一車線上に停車できる程度の空間があるのを認めたため同所に自車を一時停止させようと考え、加害車両のすぐ後(北側)付近から左側の方向指示器を点滅させつつ、加害車両の右側方を通過するとともに、その直後に左方向に進路を変更し、加害車両の停止位置から約三・九メートル前方付近で自車を斜めに第一車線に進入させていつた。被告車両が折柄発進してきた加害車両と衝突したのはその時点においてであり、双方の車両は直ちにその場で急停止した。

3  右衝突地点は第一車線上であるが、亡橋本は衝突の寸前に至るまで被告車両の存在には全く気付かず、被告もまた、加害車両の存在を認識していながらこれが発進することはないものと思つていた。

以上の事実が認められ、被告本人尋問中右認定に反する部分は、前掲の各証拠に照らして措信し難く、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。

右認定事実に照らせば、亡橋本は、加害車両を発進させるに際して、右側(西側)の第二車線を通行する車両の動静を十分に注視し、自車前方の第一車線上に駐停車すべく第二車線から第一車線に進入しようとする車両が接近してくるのを発見したときには、これが自車右側方を通過して第一車線に進入し、自車の進路の妨げにならない位置まで進行するのを待つてから発進するなどして衝突事故を未然に防止すべき注意義務があつたのにこれを怠り、被告車両が後方から左側の方向指示器を点滅させながら接近してくるのに全く気付かないで加害車両を発進させた過失により本件事故を発生させたものであるから、民法七〇九条により後記認定の損害を賠償する責任を負うものといわなければならない。

三  原告会社の責任

亡橋本が本件事故当時原告会社の従業員であつたことは当事者間に争いのないところ、亡橋本本人尋問の結果によれば、亡橋本は、昭和四六年六月一日から原告会社に勤務し、販売担当社員及び自動車の運転手の業務に従事していたが、本件事故当日は、一旦出社した後仲庭寿副社長を大阪市北区の阪急百貨店まで送るため、電車で右副社長宅まで赴き、同人宅に駐車させておいた加害車両の後部座席に同人を同乗させ、本件事故現場で同人を降車させた直後に本件事故を起こしたものであることが認められ、右事実によれば、本件事故は、原告会社の被用者であつた亡橋本が原告会社の事業の執行につき惹起したものというべきであつて、原告会社もまた、民法七一五条一項により後記損害を賠償する責任を負うものというべきである。

四  損害

1  症状固定の時期及び後遺障害の有無・程度

前記一に認定の被告の受傷及び治療経過に照らせば、本件事故によつて被告が受けた頸部捻挫及びこれに起因するバレー症状は、遅くとも昭和五九年五月末には、医学上それ以上治療を加えても治療効果が上がらない状態となつていたものと認めるのが相当であり、その意味においてその頃症状が固定したものというべきである。もつとも、前記乙第二八号証(加藤医師作成にかかる昭和六〇年五月一五日付の被告に対する後遺症診断書)中には、右症状固定時期を昭和六〇年五月一五日とする旨の記載があるけれども、同後遺症診断書作成の時期が右の時点まで遅れたのは、前記一の6に認定のような事情によるものであることが推認されるので、これが右判断の妨げとなるものということはできず、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。

さらに、加藤証言、大石証言及び大石鑑定によれば、被告の前記受傷は完治したわけではなく、頸部捻挫に起因する頭痛、耳鳴等の多彩な神経症状を残存させたもので、その後遺障害は、自賠責等級表に定める第一二級一二号(「局部に頑固な神経症状を残すもの」)に該当するものであることが認められる。

2  治療関係費

(一) 被告の前記受傷の治療に要した治療費のうち、本件事故と相当因果関係に立つ損害としては、受傷の治療のため必要かつ有用と認められる範囲のもの、すなわち前記症状固定時以前に生じたものに限られるというべきところ、前掲甲第一一、第二六号証、第二七号証の一、成立に争いのない乙第一七号証、第二四五号証の一一、二〇、二七、三四、四四、五二、五七、七八、八四、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる乙第二号証の一ないし九、第三号証、第四号証の一ないし二五、第七号証によれば、前記症状固定時以前における治療のために要した治療費の額は、次のとおり合計一〇二〇万七八五九円であつたことが認められる。

(1) 芦原病院の治療費のうち被告負担部分として支払つた七八四〇円。

(2) 加藤外科医院に支払つた治療費一〇一四万四二八〇円(なお、昭和五九年一月一三日から同年八月一〇日までの二一一日間の治療費は一〇四万九一九〇円であると認められるが、そのうち前記症状固定時である昭和五九年五月末日までの一五〇日分としては、これを日割計算した額七四万五八七〇円が右固定時以前に生じたものと推認すべきである。)

(3) 井上眼科医院に支払つた治療費四七三〇円(なお、昭和五九年二月一五日から同年九月一七日までの間の治療費は八五五〇円であると認められるが、証拠上その通院状況が明らかでないので、そのうちどの範囲の額が症状固定時以前に生じたものであるかを明確にすることができず、したがつて、これをもつて本件事故と因果関係に立つ損害を認めることはでない。)

(4) 点眼薬及び低周波医療器具の購入代金として支払つた五万一〇〇〇円。

なお、成立に争いのない乙第二四号証の七四によれば、昭和五九年四月二七日から同月三〇日までの間の治療費として加藤外科医院に六万八一一〇円を支払つたことが認められるが、右乙第二四号証の七五及び加藤証言によれば、この治療費は前記出血性胃潰瘍の治療に要したものであつて本件事故による頸部捻挫の治療に要した費用でないことが認められ、また、成立に争いのない乙第二四号証の七四によれば、昭和五九年五月に野田クリニツクに対し検査料一万〇八〇三円を支払つたことが認められるが、これが胃カメラによる胃の検査に要した費用であつて本件事故の受傷の治療に要したものでないことは同号証の七四の記載自体から明らかであるから、いずれも本件事故による損害ということはできない。

(二) ところで、成立に争いのない甲第一五号証、第一六号証の一ないし四一、乙第一九号証、第二三号証の一ないし一一六、第二二号証の一ないし二〇四、第二五号証の一ないし七四四弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる乙第五号証の一ないし四六〇、第六号証の一ないし三六二及び被告本人尋問の結果によれば、被告は、前記加藤外科医院での入院期間中、連日のように外食を摂つたり、時に飲酒などもしていたほか、入院当初から外出や外泊(外泊の回数は、昭和五九年一月一二日までの三九九日の入院期間中約五〇回にのぼる。)を繰り返し、その外出や外泊の際も頻繁に遠方まで出かけて不動産の取引の仲介等の業務を行なうなどしていたことが認められる、また、加藤証言によれば、右入院期間中の被告の症状は、安静状態を保つ方が好ましいといえるけれども、通常の軽作業等ならば被告が我慢しさえすればこれに耐えることも可能な程度であつたことが認められるのであつて、右認定の事実を前提としたうえ、大石鑑定及び大石証言を併わせ総合するならば、被告が本件事故によつて被つた前記傷害の治療のために入院することが必要であつたのは、昭和五七年一二月一日から同五八年二月一九日までの七二日間のみであり、それ以降は通院による治療で十分であつたものと認めるのが相当である。したがつて、前記認定の加藤外科医院での治療費に要した費用中入院料相当部分のうち昭和五八年二月二〇日以降に生じた分(前掲乙第二号証の一ないし九、第一七号証によれば、その費用は三〇七万九二〇〇円であることが認められる。)は、本件事故による受傷の治療のために必要であつたものとはいえず、これをもつて本件事故と相当因果関係に立つ損害と認めることはできない。

(三) そうすると、本件事故による受傷の治療のために要した費用として、被告が原告らに賠償を求めることができるのは、右(一)の一〇二〇万七八五九円から右(二)の三〇七万九二〇〇円を控除した七一二万八六五九円である。

3  入院雑費

被告の前記入院期間三九九日(ただし、出血性胃潰瘍による入院日数を含まない。)のうち入院治療を必要としたのが七二日間であることは前記のとおりであるところ、経験則上その期間中に要したものと推認される入院雑費七万二〇〇〇円(一日当たり一〇〇〇円)が本件事故と相当因果関係に立つ損害と認めるべきである。

4  入通院付添費及び通院等交通費

被告が昭和五七年一一月二二日から前記症状固定時である昭和五九年五月末日までの間合計五五〇日にわたつて芦原病院及び加藤外科病院において入通院治療を受けたことは前記認定のとおりであるところ、右入通院期間中における前記認定のごとき被告の症状、治療経過、外出外泊等の状況からすれば、被告が右治療期間中付添人や親族の付添を必要とする状態にあつたものとはとうてい認められず、また、タクシーを利用するのでなければ通院等が困難な状態にあつたものとも認められないので、被告主張の付添費及び交通費(タクシー代)は、仮りにそれを現実に支出した事実があつたとしても、これをもつて本件事故と相当因果関係に立つ損害と認めることはできない。

もつとも、被告が本件事故により傷害を受けたことは前記のとおりであるから、右治療期間中の通院のために要した必要最小限の交通費は、本件事故と相当因果関係に立つ損害と認めるのを相当とするところ、加藤証言、大石鑑定及び被告本人尋問の結果によれば、通院治療期間中の必要最小限の通院交通費は一日当たり三〇〇円程度と推認することができるので合計一四万三四〇〇円の通院交通費が本件事故と相当因果関係に立つ損害ということになる。

5  休業損害

被告本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認められる乙第八号証の一ないし三、第九号証、第一〇号証の一ないし五、第一一号証及び右尋問結果によれば、被告はかねてより山榮工業の名称で建物解体業等を営んでいた者であるが、その営業状態が思わしくなかつたため、昭和五七年七月頃から宅地建物取引業の免許を受けることもなく不動産取引の仲介を業とするようになつたこと、その営業活動として、昭和五七年五月七日に、大阪府箕面市東坊島所在の雑種地六五一平方メートルを代金一億一八一五万八〇〇〇円で購入して即日これを第三者に代金一億五七五四万四〇〇〇円で転売し、また、同月二四日、大阪府藤井寺市林所在の雑種地七八四平方メートルを代金四五〇〇万円で購入して即日これを第三者に代金九〇〇〇万円で転売したことがそれぞれ認められる。

ところで被告は、右二回の売買取引による転売差益の合計八四三八万六〇〇〇円全額が被告の純利益であり、かつ、本件事故がなかつたならば、それ以後の年度においても少なくともこれに匹敵する純利益八四〇〇万円を取得しえたはずであると主張し、原告らはこれを争うので、以下のこの点について検討するに、被告本人尋問の結果によれば、被告の営業は、通常の不動産取引の仲介等とは異なり、主として様々の行政上の規制のある土地を対象とし、所轄行政機関との交渉等によつてその規制を解除してもらい、これを宅地として利用することが可能な状態にした上で需要者に取得させるという形態のものであつて、転売可能な状態にするまでには相当の経費を必要とするものであることが認められるので、転売差益の全額が純利益となるわけでないことは明らかであるといわなければならない。現に、右尋問結果により真正に成立したものと認められる乙第二六号証によれば、被告は、昭和五七年度の所得税確定申告の際、右の二回の不動産取引による譲渡所得に関し、藤井寺市の土地については、不動産取引価格を過大に申告しているほか八〇三万円の譲渡費用を計上し、また、箕面市の土地についても、取得価額を一億三八四四万五六九〇円と過大に申告しているほか二五四四万四一四八円の譲渡費用を計上して、結局、不動産譲渡所得は零であつた旨申告していることが認められるのであつて、この点からも、右転売差益の全額が被告の純利益でなかつたことが裏付けられているというべきである。

のみならず、仮りに昭和五七年度において相当額の譲渡所得を得た事実があつたとしても、前記認定のような被告の営業形態からすれば、それ以降の年度においてそれに匹敵する利益をあげうる保障は何ら存在しないといわざるをえないし、仮りに何件から取引が成立する蓋然性を否定することができないとしても、その譲渡価額、取得価額、その他の経費がいくらとなるかを予測することは全く不可能であり、開業後わずか一か年の実績を基にこれを推認することができないことも多言を要しないところというべきである。

そうすると、本件事故による被告の休業損害については、結局、その額の証明がないことに帰着するといわざるをえないかのごとくであるけれども、被告本人尋問の結果及びこれによつて真正に成立したものと認められる乙第二九号証、第三一ないし第三三号証によれば、被告は、本件事故当時四四歳の健康な男子で、以前より相当の収入を得てその家族を養つてきており、入通院治療が打ち切られた後も従来通り不動産の取引の仲介業等に従事していることが認められるので、本件事故後も、少なくとも昭和五七年度賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計四〇歳ないし四四歳男子労働者の平均年間給与額四六九万一八〇〇円に匹敵する収入を得ることができたものと推認するのが相当である。しかして、前記認定のとおりの被告の受傷の程度、その治療の状況、入院治療中の被告の行動等に照らせば、被告は、本件事故による受傷のため、本件事故の日から前記症状固定時までの五五二日間の全期間にわたつて全く稼働することができず労働能力を一〇〇パーセント喪失していたわけではなく、入院を必要とされた前記七二日間はその労働能力の一〇〇パーセントを、これに続く六か月(一八〇日)はその五〇パーセントを、残余の期間(三〇〇日)はその三〇パーセントをそれぞれ失つていたにすぎないと推認するのが相当であるから、被告が本件事故の治療期間中に喪失した収入の額は、三二三万九二七〇円である。

4,691,800÷365×72=925,506(円)……〈A〉

4,691,800÷365×180×0.5=1,156,882(円)……〈B〉

4,691,800÷365×300×0.3=1,156,882(円)……〈C〉

〈A〉+〈B〉+〈C〉=3,239,270円

6  後遺障害による逸失利益

前記認定の後遺障害の内容及びその程度に照らせば、被告は、右後遺障害によつて前記症状固定時以降三年間にわたりその労働能力を一四パーセント喪失したものと認められるので、被告が失うことになる収入総額からホフマン式計算法によつて年五分の割合による中間利息を控除右逸失利益の症状固定時における現価を算出すると一七九万三八六二円となる。

4,691,800×0.14×2.731=1,793,862(円)

7  慰藉料

本件事故による被告の受傷の程度、その治療経過、後遺障害の程度及びその他本件において認められる諸般の事情を斟酌すれば、被告が本件事故によつて受けた肉体的精神的苦痛を慰藉するに足りる慰藉料の額としては、二三〇万円が相当である。

8  車両修理代

反訴請求原因(本訴抗弁)4(十)の事実は当事者間に争いがない。

9  告訴費用

仮りに被告が反訴請求原因(本訴抗弁)4(九)に主張のような費用を支出した事実があつたとしても、それをもつて本件事故と相当因果関係に立つ損害と認めることはできない。

五  過失相殺

本件事故の発生状況は、前記認定のとおりであつて、それによれば亡橋本は、被告車両が本件事故現場道路の第二車線を走行して加害車両の右側方を通過する以前から加害車両の右側方向指示器を点滅させていたものであり、その右後方からこれに接近してきた被告としては、加害車両が間もなく発進し第一車線から第二車線に進入するであろうことを容易に予測することができたはずであるから、加害車両との距離を確認し、その動静に注目しつつ、加害車両が発進して前方に去るのを待つてから第一車線に進入するとか、或いは、加害車両の前方に十分な距離を置いて進入するとかの方法をとるべきであつたのに、加害車両が直ちに発進することはない旨軽信し、加害車両の停止位置の前方(南側)わずか三・七メートルの地点で第二車線から第一車線に進入を開始したため本件事故が発生したものというべきである。

したがつて、本件事故が発生するについては、被害者である被告にも過失があつたものといわなければならず、その過失の割合はこれを三割と評価するのが相当であるから、前記四の2ないし8の損害合計額から三割を減額すべきである。

六  損害の填補

反訴請求原因(本訴抗弁)5の事実(弁済)は当事者間に争いのないところ、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる甲第二七号証の一及び二によれば、反訴抗弁(本訴再抗弁)1の事実(車両修理代の弁済)が認められる。

七  結論

以上のとおりであるとすると、被告は、本件事故に基づく損害の賠償として、原告会社及び亡橋本に対し前記四の2ないし8の合計額一四七四万三七二一円からその三割を減じた一〇三二万〇六〇五円の支払を求める債権を取得したところ、その債権は、同六の弁済(合計一三一一万〇五五七円)によつて全部消滅するにいたつたものと言うべきであるから、被告の反訴請求は失当である。

第二原告らの反訴請求について

被告の原告らに対する本件事故に基づく損害賠償債権が全部弁済によつて消滅し、既に存在しないことは前記のとおりであるから、その不存在の確認を求める原告らの本訴請求は理由がある。

第三結語

よつて、原告らの本訴請求を正当として認容し、被告の反訴請求を失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤原弘道 山下満 橋詰均)

(別紙) 交通事故目録

発生日時 昭和五七年一一月二〇日午前一一時二〇分頃

発生場所 大阪市北区角田町八番九号先路上

加害車両 普通乗用自動車(登録番号、大阪三三つ四〇六四号。)

右運転者 亡橋本寛一

事故態様 亡橋本は、事故現場道路の左端車線(第一車線)に加害車両を一時停止させたのちこれを発進させ、右に進路を変えながら右側車線(第二車線)に進入すべく北から南に向つて走行し始めた直後、折柄加害車両前方の第一車線上に停車するため第二車線から第一車線に斜めに進入してきた被告(反訴原告)運転の普通乗用自動車の左側部に加害車両の右前部を衝突させた。

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